「忍山合戦」ゆかりの城址
天正7(1579)年、宇喜多氏が毛利氏との関係を絶って織田氏に通じると隣国であった毛利側との国境地は、臨戦状態に突入しました。特に、宇喜多領の一部は、毛利方が治める備中国に侵食しており、忍山城も備中国でありながら、備前との境目だったため、宇喜多領として機能していました。毛利方は、この忍山城に度々侵攻しますが、宇喜多方は良く踏ん張り撃退していました。しかし、天正9(1581)年、毛利方は、忍山城を陥落させるべく本格的に侵攻を開始しました【忍山合戦】。
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