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  5. 手取川の戦い
新コース
  • 2日間
  • 石川
  • 歴史を学ぶ旅
コース番号
005224

手取川の戦い

天正5年(1577年)閏7月、上杉謙信は能登国を支配下に置くべく、2万余の軍を率いて侵攻しました。能登の守護能登畠山氏は、天正2年(1574年)7月に守護義隆が死去し、幼児春王丸が七尾城主となっていました。重臣の長続連・長綱連父子が実権を掌握し籠城。長連龍を使者として安土城に派遣し、織田信長に救援を要請しました。信長は救援要請を受諾し、柴田勝家を総大将とした4万の軍勢は8月8日に出陣します。しかし、織田軍到着前の9月15日、以前より長続連が実権を握ることに不満を抱いていた遊佐続光、温井景隆ら親上杉派が内応して謀反。長一族は皆殺しとなり、七尾城は落城しました。

勢いに乗る上杉軍は9月17日、加賀と能登の間に立地する末森城を攻略。一方、七尾城の落城を知らない織田軍はそのまま北上を続けましたが、途中の水島(加賀郡)で羽柴秀吉が離陣しました。織田軍の北上を察知した謙信は、七尾城を出撃、手取川付近にあった松任城(加賀郡)に入城しました。手取川の渡河を終えた織田軍は、七尾城陥落と謙信の松任城入城を知り、急ぎ撤退命令を出しました。天正5年9月23日(1577年11月3日)の夜、謙信は軍勢を率いて織田軍の追撃を開始します。この合戦を詠った「上杉に逢うては織田も手取川はねる謙信逃げるとぶ長(信長)」という落首が残された、世にいう「手取川の戦い」です。

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2022年10月27日(木) 50,000円 募集中 お申込み受付中

ツアー詳細

旅行条件 最少催行人員15名/添乗員同行します。
貸切バス会社名 千里山バスまたは寝屋川バスまたは同等クラス
食事条件 朝食:1回
宿泊施設 【1】白山市・ホテルルートイン美川インター
服装と持ち物 ウオーキングシューズでご参加ください。

基本スケジュール

日数行程食事
1 大阪・梅田8時発=〇末森城址(加賀国と能登国の境にある要所の地。後に佐々成政と前田利家との間で行われた「末森城の戦い」でも有名。比高120m)=〇津幡城址(謙信による七尾城攻めの拠点とされた城)=〇松任城址(公園となっており、本丸の内堀があった位置を示す石垣の一部が復元されている)=〇白山市(泊) ×
×
2 =〇手取川古戦場址=〇今江城址(御幸塚城)(手取川の戦いの敗戦後、上杉軍の南下に備え佐久間盛政が城主を務めた城)=〇日谷城址(越前一向一揆の討伐後、織田家に重要視された拠点。勝家によって改修された。比高30m)=〇大聖寺城址(勝家によって改修された城。日谷城と並び上杉軍に備えるが、手取川の戦いの敗戦後、上杉軍に接取された)=梅田17時ごろ着
×
【行程中の記号】
=バス →航空機 —列車 〜船舶 …徒歩 ≠ロープウェー
◎入場観光 ○下車観光 △車窓観光

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2022年10月27日(木) 50,000円 募集中 お申込み受付中

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