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新コース
  • 日帰り
  • 鳥取
  • 歴史を学ぶ旅
コース番号
005225

布部山の戦い

永禄9年11月21日(1567年1月1日)、山陰山陽11カ国のうち8カ国の守護を務めた尼子氏は、毛利元就によって居城である月山富田城を攻められ、降伏しました。これにより、大名としての尼子氏は滅亡し、当主義久とその兄弟3人は毛利氏により幽閉されました。しかし一部の家臣たちは尼子氏の再興を諦めず、山中鹿之助幸盛が中心になり、京の東福寺で僧となっていた尼子氏一門の尼子誠久の遺児・尼子勝久を還俗させ旗頭とし挙兵の機会をうかがっていました。

永禄12年6月23日(1569年8月6日)、毛利氏が大友氏を攻撃するため北九州へ軍を派遣すると、幸盛ら尼子再興軍は但馬国から数百艘の船に乗って海を渡り島根半島に上陸。5日のうちに3、000余りの軍勢になり、多賀元龍が籠もる新山城(真山城)を攻略しました(尼子再興軍の雲州侵攻)。一方毛利方は同年7月下旬、月山富田城の城主・天野隆重の書状により出雲国一円を尼子再興軍が支配する状態となったことを知り、また大内氏の残党も山口で蜂起(大内輝弘の乱)。毛利氏の領国支配体制は一転、最大の危機を迎えるのでした。ここに至って毛利元就は北九州に在陣する毛利軍の撤退を決定。毛利軍は門司城を残して北九州から全て撤退しました。尼子再興軍は毛利軍が来襲するまでに、何とかかつての本拠地だった月山富田城を奪取しようと試みますが、落城に至りません。永禄13年1月6日、本国に帰還した毛利輝元、吉川元春、小早川隆景らの軍勢はそのまま、尼子再興軍を鎮圧すべく出陣。迎え撃つ尼子再興軍は布部山に陣を張ります。同年2月14日(3月20日)、毛利軍は尼子再興軍に対して攻撃を開始。軍記物に「尼子・毛利の国の戦いも今日が最後」と記される「布部山の戦い」が行われました。

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2022年11月18日(金) 13,000円 募集中 お申込み受付中

ツアー詳細

旅行条件 最少催行人員15名/添乗員同行します。
貸切バス会社名 千里山バスまたは寝屋川バスまたは同等クラス
食事条件 昼食:1回
服装と持ち物 ウオーキングシューズでご参加ください。

基本スケジュール

日数行程食事
1 大阪・梅田8時発=〇蹄の滝(敗戦後、山中幸盛が落ち延びる際に馬で滝に飛び降りたと云われる滝)=〇布部城址(要害山() 合戦の前日に毛利軍の攻撃を受け落城)=〇尼子本陣の名水(尼子再興軍が月山富田城を奪還するために陣を置いた付近を水源とする湧水)…布部合戦古戦場(布部山の戦いの古戦場)=〇新宮党館址(新宮党と称された尼子誠久らの館があった場所)=梅田19時ごろ着 ×
【行程中の記号】
=バス →航空機 —列車 〜船舶 …徒歩 ≠ロープウェー
◎入場観光 ○下車観光 △車窓観光

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2022年11月18日(金) 13,000円 募集中 お申込み受付中

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