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新コース
  • 2日間
  • 静岡
  • 歴史を学ぶ旅
コース番号
005226

山木館襲撃と富士川の戦い

  • 伊豆山神社 伊豆山神社
  • 三島大社 三島大社
  • 三島大社2 三島大社2

頼朝挙兵の舞台へ

源頼朝は平治の乱後の永暦元年(1160年)3月11日に伊豆国へと流刑されました。配流地である蛭ヶ小島(蛭ヶ島)で、乳母である比企尼の支援を受け、また比企尼の娘婿である安達盛長らに近習として支えられ、亡父義朝や源氏一門を弔う日々を送っていました。流刑中に伊豆の豪族・北条時政の長女政子と婚姻関係を結び、北条家の後ろ盾を得ることに成功しました。治承4(1180)年、後白河法皇の皇子である以仁王が平家追討を命ずる令旨を諸国の源氏に発し、4月27日、頼朝にも叔父・源行家より令旨が届けられました。しかし5月26日に以仁王が戦死し、この企ては失敗します。以仁王の挙兵の2カ月後、母が頼朝の乳母の妹である京の公家・三善康信からの使者が訪れ、諸国に源氏追討の計画が出されているので早く奥州へ逃げるよう伝えられます。

自身が危機の中にあることを悟った頼朝は挙兵を決意。まず伊豆国目代・山木兼隆を標的に定め、治承4(1180)年8月17日、頼朝の命令で北条時政らが韮山にある兼隆の目代屋敷を襲撃し、兼隆を討ち取りました(山木館襲撃)。兼隆を倒したとはいえ頼朝の兵力のみでは伊豆1国を掌握するにはほど遠く、帰順を明らかにしない坂東の豪族を味方につけるべく東に軍を進めました。しかし「石橋山の戦い」で、平家方の大庭景親らに惨敗を喫し、体制を立て直すべく海路で安房国へ向かいます。安房に上陸した頼朝は、地元の豪族安西景益に迎えられ、上総国の公領・庄園のほぼ全域に支配権が及んでいた上総広常を味方につけることに成功しました。これにより頼朝軍は2万人以上に膨れ上がり、続々と他の豪族も頼朝側に参戦。平家方は、個別での交戦を諦め、頼朝は抵抗を受けることなく10月6日(10月26日)に源氏累代の本拠地・鎌倉に入りました。ここにいたり平家方は、畿内から頼朝討伐の軍勢の派遣を決め、総大将には平維盛が任命されました。平家方は諸国から兵をかき集め、7万近くの軍勢で進軍してきました。頼朝は、甲斐源氏である武田氏と連携し富士川の地で平家方を迎え撃つことを決定しました。「吾妻鏡」によると治承4年10月20日(1180年11月9日)、両軍の対決は当時誰もが予想しなかった結果で決着を迎えるのでした(富士川の戦い)。

今回のツアーでは、2日間かけて山木館襲撃から富士川の戦いゆかりの地を訪れます。

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2023年1月12日(木) 54,800円 催行決定 お申込み受付中

ツアー詳細

旅行条件 最少催行人員15名/添乗員同行します。
貸切バス会社名 千里山バスまたは寝屋川バスまたは同等クラス
食事条件 朝食:1回 夕食:1回
宿泊施設 【1】長泉町・ホテルルートイン長泉沼津インター第2(1名1室)
服装と持ち物 ウオーキングシューズでご参加ください。

基本スケジュール

日数行程食事
1 大阪・梅田8時発=〇北条氏邸址(北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館)…〇北条政子産湯之井戸(政子の産湯の水をとったとされる井戸)=〇守山八幡宮(源氏の守護神・八幡神を祀る社)=〇八重姫御堂(源頼朝との悲恋の末、無念の死を遂げたと地元で伝えられている伊東祐親の娘・八重姫の供養堂)=長泉町(泊) ×
2 =〇三嶋大社(源頼朝・北条政子腰掛石、源頼朝旗挙の碑、安達九郎盛長警固の跡など)…頼朝の井戸(三嶋大社へ日参した頼朝がこの井戸の水で喉を潤した)=〇山木判官平兼隆館址(伊豆目代であった山木判官平兼隆の館)=〇北条宗時・狩野茂光の墓=〇対面石八幡神社(富士川の戦いで10月18日に頼朝が本陣を置いたと言われる場所。合戦終了後、義経と対面した場所といわれている)=〇御崎神社(10月20日の頼朝の本陣といわれている場所。2代目になる「源軍物見ノ松」が残る)=〇平家越(平家軍が敗走した場所といわれている)=梅田18時ごろ着
×
【行程中の記号】
=バス →航空機 —列車 〜船舶 …徒歩 ≠ロープウェー
◎入場観光 ○下車観光 △車窓観光

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2023年1月12日(木) 54,800円 催行決定 お申込み受付中

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