古代史を揺るがす事件の一つ
舒明天皇13年10月9日(641年11月17日)、舒明天皇は崩御し皇后であった宝皇女が即位した(皇極天皇)。この即位の背景に暗躍したのが蘇我蝦夷であり、蘇我氏の血を引く古人大兄皇子の将来の即位が背景にあったという説がある。この頃から蝦夷・入鹿父来が独断で政治を動かす様子が「日本書記」に登場する。一方、舒明天皇の崩御後、次の大王候補として山背大兄王の名が挙がった背景もあり、これを警戒した蘇我氏と上宮王家の関係は急激に悪化。蘇我氏は、将来の古人大兄皇子を擁立するために邪魔になる上宮王家の排除を決意するのでした。皇極2年(643年)11月、入鹿は上宮王家の本拠地である斑鳩の宮(現、法隆寺・東院)に兵を差し向けるのでした。