船上山の戦いの舞台へ
正中元(1324)年、後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒を計画したという嫌疑をかけられ、六波羅探題が天皇の側近日野資朝を処分する正中の変が起こる。公式判決では、後醍醐天皇は無罪として釈放された。(正中の変)
元弘元(1331)年、後醍醐天皇による倒幕計画が側近吉田定房の密告により発覚し身辺に危険が迫ったため急遽京都脱出を決断、三種の神器を持って挙兵した。はじめ比叡山に拠ろうとして失敗し、笠置山(現京都府相楽郡笠置町内)に籠城するが、圧倒的な兵力を擁した幕府軍の前に落城して捕らえられる。承久の乱の先例に従って謀反人とされ、翌元弘2 / 正慶元(1332)年、隠岐島に流された。(元弘の変)隠岐守護の佐々木清高は黒木御所に天皇一行を幽閉した。当時は西日本を中心に後醍醐天皇の皇子である護良親王を奉じた楠木正成を筆頭に悪党と呼ばれる武士達が反幕府活動を続けていた(赤坂・千早城の戦いなど)。
これを受け、同年閏2月24日(1333年4月19日)に後醍醐天皇は隠岐からの脱出し出雲を目指しましたが、風により東に流され、伯耆国の名和の港に漂着しました。この地の地頭であった名和長年は、天皇を手厚く保護しました。同年閏2月28日(西暦1333年4月23日)に、守りやすい船上山にて後醍醐天皇は再び挙兵し「船上山の戦い」へと繋がります。今回のツアーでは、名和長年の本拠地に訪れそのゆかりの史跡を見学します。