毎日山の旅日記

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中国毎日登山塾ステップ④大山

 鳥取県の大山(1709㍍)と言えば、志賀直哉の名作「暗夜行路」を思い起こす人は多いだろう。主人公が大山の中腹で朝を迎える際の自然描写は、とりわけ素晴らしい。「彼は……どれだけの間か眠ったらしく、ふと、眼を開いた時にはいつか、四辺(あたり)は青味勝ちの夜明けになっていた……」。ここから始まる一群の文章は、読む者の眼前に夜明け前の世界を再現してくれる。美しく、無駄のない文章には心を打たれる。我が国の文学を代表する名場面と言っても過言ではない。
前日に登った下蒜山から見た大山(中央奥) 前日に登った下蒜山から見た大山(中央奥)
 その大山を舞台に、富士登山塾ステップ4が6月11日に開かれた。登山初心者が今夏に富士山山頂に立つことを目的に、3月から毎月、山に登ってきた。参加者17人は午前9時前に、麓の駐車場にたたずんでいた。大山を見上げると、山頂付近に雲が取りついていた。高山宗則・登山ガイドが「さぁ、行きましょう」と誘い、登山道に向かった。山道は階段から始まった。「登り始めに力を使わないことが大切です」「バタバタ歩いてはダメです」と声をかけた高山ガイドは、ゆっくりと歩みを進めた。最初は笑顔だった人々も、いつ終わるとも知れない階段の連続に「まだ続くの」「ずっと上まで階段が見える」とため息をついた。
歩き始めから階段が続く大山の登山道 歩き始めから階段が続く大山の登山道
 二合目、四合目で休憩をとった。「ザックを下ろして、必ず水を飲んでください」と声がかかった。だが、ザックを下ろさない男性もいた。筆者が「ザックは下ろした方がいいですよ。疲れの取れ方が違いますよ」と話した。男性はザックを地面に置いて、水を飲み始めた。ザックを背中から外すことで、汗でぬれた背部の衣服を少しでも乾かすことができる。また、重い荷物を身体から離すことで気分転換につながり、疲労感の軽減にもなる。10分ほどの休憩の後、再度歩き始めた。タニウツギのピンク色の花が揺れた。ギンリョウソウの白い姿もあった。樹林が直射日光を遮り、暑さは感じない。吹く風が心地よい。五合目の標識に到達した。「半分来ました」と高山ガイド。七合目では「次の八合目まで行けば、山頂には必ず登れますから、頑張って」と励ました。
薄ピンクの花を咲かせ登山者を励ますタニウツギ 薄ピンクの花を咲かせ登山者を励ますタニウツギ
10時58分、六合目の避難小屋に到達した。ここからは、大山の北壁が眺められる。岩に岩を重ねたような荒々しい光景に、「まるで屏風だね」との声が聞こえた。長めの休息の後、出立前に高山ガイドは「山頂まで行くのは厳しいという方は、ここで待っていてもいいですよ」「待つ方はおられますか」と声をかけた。誰も手を上げない。例年だと、数人は待つことを選択するのだが、今回は皆が登頂を希望した。「行きましょう」と再び登山道に足を踏み入れた。ここから先は、岩場が続く。足の踏み場を考えて足を置き、時には手で岩をつかむ場面もあった。
6合目の避難小屋を後にする 6合目の避難小屋を後にする
次第に日本海側の様子が見えてきた。緑色の樹林の広がりの先には、美保湾の湾曲と湖のような中海が見通せた。境港の街もある。遠くの海上に揺らめく島影は、隠岐諸島だろうか。私はどの街にも海辺にも足を運んだことはないが、この風景を見たことは忘れないだろう。文豪もそんな思いで、ここにたたずんでいたに違いない。
急登の合間に日本海の絶景を見る 急登の合間に日本海の絶景を見る
 11時39分、八合目に着いた。「もう登ったも同然です」と高山ガイドは目を細めた。山頂までもうわずかだ。ここからは階段でも、岩場でもない、木道の上を歩いていく。草むらの中に、コイワカガミのピンクの花を見た。思わず駆け寄り、写真を撮った。大山は花の山、そう実感した。
大山山頂付近のイワカガミ 大山山頂付近のイワカガミ
 山頂からの絶景も期待したのだが、そこだけが雲の中だった。山頂碑も濡れそぼっていた。寒さもあり、長居は禁物だ。避難小屋で行動食を取り、下山の途についた。また、来年の再訪を約して。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
大山山頂でハイタッチをする高山ガイドと参加者 大山山頂でハイタッチをする高山ガイドと参加者
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〜山記者の目〜プロフィール
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長

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