毎日山の旅日記

毎日新聞旅行

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北アルプス上高地の歩き方

「三年前の夏のことです。僕は人並みにリユツク・サツクを背負ひ、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登らうとしました」。芥川龍之介の小説「河童」(1927=昭和2年=年発表)の冒頭部分だ。上高地の風景を描写し、「梓川」「河童橋」の名称も見える。芥川は槍ケ岳への登頂経験もある。冷涼な上高地や険峻な穂高連峰に、大文豪も魅せられたのだろう。
 さらに作品を読み込むと、平成の上高地との違いに気が付く。「放牧の牛」との記述がある。芥川が見た上高地周辺は、現在の山岳リゾートではなく、牧場であり、「温泉宿」だったのだ。
河童橋と穂高連峰。橋の上には大勢の観光客が見える。 河童橋と穂高連峰。橋の上には大勢の観光客が見える。
 
 今では牧場はなく、梓川河畔にはホテルが建ち並ぶ。明治の頃から山岳風景は人々をとりこにし、近年は年間120万人の人々が訪れるようになった。観光客にとっても登山者にとっても、上高地は自然と触れ合える別天地であることは変わりない。
 筆者も、山登りや登山ガイドの研修会のために年に数回は上高地を訪ねている。通い始めた当初は通過点に過ぎなかったのだが、余裕が生まれてくると、観光と登山の基点にふさわしい施設があることに気づいてくる。その体験的利用法を今回はお伝えし、上高地散策のよすがとしていただければと思う。
ウェストン碑。河童橋から徒歩20分の梓川沿いにある。日本アルプスを世界に紹介した英国人宣教師 ウェストン碑。河童橋から徒歩20分の梓川沿いにある。日本アルプスを世界に紹介した英国人宣教師

まず、観光にしても登山にしても、安全な旅を楽しむためには、①事前情報の収集②屋根のある休憩場所が必要だと思う。天候や季節の花の情報を事前に手軽に入手できれば、散策が楽しくなることは間違いない。さらに、旅行鞄やザックを整理したり、座って一息ついたりする休憩場所もほしいところだ。屋根があればなおさらくつろげるだろう。

上高地インフォメーションセンター。ぜひ立ち寄りたい。 上高地インフォメーションセンター。ぜひ立ち寄りたい。
そのうってつけの場所が「上高地インフォメーションセンター」となる。バスターミナルで降りると、すぐ目の前にある、1階がガラス張りの建物だ。
 正面から入ると、左手に受付があり、その奥に広々とした休憩施設が広がっている。たくさんの縁台が置かれ、荷物の整理や登山靴の履き替えなどに使用できる。開館中には、仮眠することも可能だ。利用料が無料というのもうれしい。 
入り口から受付周辺には、さまざまな情報が掲出されている。天候や見ごろの草花、クマの出没など各種情報が入手できる。日帰り入浴施設の紹介まであり、かゆい所に手が届くとはこのことだろう。
特にお勧めは、小冊子「上高地 散策ガイド」(100円)だ。歳時記、散策マップ、季節ごとの花などが掲載されている。発売されたばかりの秋号には、秋の果実も写真付で収録されている。惜しむらくは写真がモノクロということだが、この低価格では致し方ない。また、施設にはヘッドランプなどの登山道具も販売しており、シャワー施設(有料)まである。
 さらに1階にはぜひ見ていただきたいものがある。休憩施設の傍らに、上高地の「マイカー規制」の歴史がパネル展示されている。写真や図表を使い、マイカー規制以前の荒廃ぶりや自然保護への努力がわかりやすく示されている。先人の熱意や有効な自然保護策について学ぶことができ、なかなか興味深い。マイカー規制の必要性にも合点がゆく。
明神岳。上高地から歩いて1時間ほどの明神にて撮影した 明神岳。上高地から歩いて1時間ほどの明神にて撮影した
 もうひとつお伝えしたい施設がある。インフォメーションセンターの隣には、「観光センター」があり、「手荷物預かり所(上高地登山案内人組合)」がある。気づかずに素通りする人も多いのだが、手荷物を数日間に限り有料で預かってくれる。筆者も下山後の入浴道具や着替えを預けている。私事だが、雨のため予定より1日早く下山したことがあった。預かり所に荷物を受け取りに行くと、1日分の料金を返金してくれた。営業時間も午前6時からで、早立ちにも重宝する。
 帰りのバスについても触れておこう。松本方面へ向かうバスは、夕方や連休の最終日にはかなり込み合うことが多い。そのために、乗車前に購入しておくと便利だ。下山して入浴施設に向かう前に、切符を購入しておく。そうすると、あわてずにゆっくり風呂に入れる。三連休などを使って縦走する時も、初日にバスターミナルに到着したら、まず数日後の帰宅時の切符を買っておくことをお勧めする。大型連休の最終日は込み合うものだ。当日に切符を求めても、売り切れということもある。
賑わいを見せる河童橋。現在は1997年に付け替えられた5代目という 賑わいを見せる河童橋。現在は1997年に付け替えられた5代目という
芥川の「河童」は、人間の主人公が河童の世界を訪れる不可思議な小説だ。作中で、詩人の河童の詩が登場する。
「いざ、立ちて行かん。娑婆界を隔つる谷へ。岩むらはこごしく、やま水は清く、薬草の花はにほへる谷へ。」
 この詩を残して、河童は自死してしまう。芥川もこの作品発表後に自ら死を選ぶことになる。河童がうたった風景は、上高地だと思われる。芥川の眼に上高地は、思うに任せない現実世界と隔絶した、清々しい天地と映ったのだろう。
 なお、河童橋はこの作品以降、広く知られるようになったという。今では上高地のシンボル的存在となり、国内外の人々で大いに賑わっている。上高地を愛した芥川と河童たちの置き土産、と言えなくもない。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
 
河童橋から見る焼岳。北アルプスで唯一の活火山だ 河童橋から見る焼岳。北アルプスで唯一の活火山だ
●観光シーズン● 開山祭4月27日~11月15日の閉山祭まで。他の時期はオフシーズンとなる。
●マイカー規制と夜間通行止め● 「沢渡(さわんど)駐車場」、平湯の「あかんだな駐車場」にマイカーを停めてバスかタクシーで上高地へ。駐車料金は普通車600円/1日(24時間)=2018年10月現在=。
 また、夜間の通行止めもある。入り口である「中の湯ゲート」は夜間通行止めとなる。中の湯ゲートの通行時間は、春と秋は午後7時まで。7~8月は午後8時まで。帰りのバスの時刻表やタクシーの中の湯ゲート通過時間に注意したい。
●連絡先● 上高地インフォメーションセンター0263・95・2433▽手荷物預かり所(上高地登山案内人組合)0263・95・2034▽日本アルプス上高地公式ウェブサイト http://www.kamikochi.or.jp/
●引用・参考文献●
青空文庫「河童」(芥川龍之介・著)
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〜山記者の目〜プロフィール
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを経て現在、関連会社「毎日企画サービス」顧問。
2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長

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