毎日山の旅日記

毎日新聞旅行

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八ヶ岳暴風の天狗岳

快晴でも山頂に登れない場合がある。風が強い時だ。数年前に北アルプス・槍ケ岳(3180㍍)に出かけた際がそうだった。晴れているのに、山小屋を揺さぶるほどの大風に登頂を断念した。無念ではあるが致し方ない。天候には誰人も勝てないのだ。
星空の黒百合ヒュッテ=福田裕一朗氏撮影 星空の黒百合ヒュッテ=福田裕一朗氏撮影
2020年3月下旬、八ケ岳の天狗岳(2646㍍)を我々は目指した。JR茅野駅からバスで登山口となる渋の湯温泉へ。駅前には雪はなく日差しも温かかったが、登山口となると寒さは厳しくなった。支度を整えて、雪の斜面に取りついた。積雪量は多くはないが、凍結した場所もあった。登り始めは急斜面が続く。アイゼンがよく利き、足元は安定している。息が上がらないようにゆっくり登ってゆく。1時間ほど斜面を詰めると、八方台との分岐に出た。ここで一息つく。ここからは緩やかな斜面が続き、とても歩きやすい。コメツガやトウヒの枝に雪がまとわりつき、重そうに垂れていた。渋の湯と唐沢鉱泉の分岐からはきつい登りが続いた。斜面をつづら折りに歩いて行く。やがて空が広くなると、黒百合ヒュッテの前に飛び出た。ここまで2時間半ほどかかった。
積雪を踏み黒百合ヒュッテに到着した 積雪を踏み黒百合ヒュッテに到着した
黒百合ヒュッテでは、「個室が空いている」という。個室料と暖房費と合わせて1泊2食で1人1万500円だ。新型コロナウイルスが猛威をふるっている折でもある。大部屋よりも人数の少ない個室を選択した。ザックを下ろして、空身となって中山(2496㍍)の展望台に向かった。ヒュッテから5分ほどで中山峠に着いた。本来なら左へ折れるのだが、天狗岳の威容を拝むために右に曲がった。すぐに視界には白い岩峰が飛び込んできた。東天狗岳だ。空中に浮かぶ巨大な要塞のようだ。積雪から大小の岩々が荒々しく突き出ているさまが手に取るようにわかる。「天然の鬼おろし」と私は名付けた。左端の断崖絶壁の脇に登山道がついている。風にあおられて転落したら、ひとたまりもないだろう。そして、雲が右から左へとちぎれ、ちぎれに飛んで行く。登山者の姿は見えない。山岳専門の気象予報会社「ヤマテン」は、「風速24㍍」と発表していた。私にはとても歩けない。同行の仲間と「明日も強風であれば、登頂はあきらめよう」と決めた。
中山の展望台。かなりの強風が吹いていた 中山の展望台。かなりの強風が吹いていた
今来た道を戻り、中山を目指した。凍結した路面や断崖上の道もある。転ばないように慎重に歩みを進めた。振り返ると、東天狗岳、西天狗岳のそろい踏みが見えた。男性的なたたずまいの東天狗岳に比較すると、西天狗岳は丸みを帯びた稜線でどことなく女性的だ。雄大な景色に、「ほぉ」とため息が出た。都会のストレスが氷解していく。
展望台からの天狗岳。左側が東天狗岳 展望台からの天狗岳。左側が東天狗岳
中山の山頂は、ポツンと山頂標があるだけで何とも寂しい。ここで止まらずに先を急ぐ。5分も歩かぬうちに、展望台に到達した。樹林帯から出たとたんに強風にさらされた。身体を持って行かれぬように踏ん張る瞬間もあった。だが、展望は抜群だ。天狗岳をはじめ蓼科山(2530㍍)も見える。遠くに浅間山(2568㍍)が鎮座しているのも分かる。抜けるような青空が印象的だ。何時までも眺めていたいのだが、かなり冷え込んできた。絶景はカメラと記憶に収めて、展望台を後にした。
中山の山頂は、山頂というよりも登山道の一部のようだった 中山の山頂は、山頂というよりも登山道の一部のようだった
翌日、天候は薄曇りとなったが、強風は相変わらずだ。私たちは天狗岳登頂をあきらめた。中高年でもあり、雪山初心者もいる。暴風にあおられて滑落する危険は冒したくはない。東天狗岳を遠望すると、登山者の列が急斜面に取りついていた。風にあおられているのか、進路が右に左にふられていた。大丈夫だろうか。実は昨日、黒百合ヒュッテに向かう樹林帯で中年男性とすれ違った。苦悶の表情を浮かべ、足を引きずっていた。後に分かるのだが、天狗岳登山の途上で滑落したという。一命はとりとめ、自力下山の最中だったのだ。
正面は蓼科山か 正面は蓼科山か
天狗岳は登山口から数時間でたどり着ける。人里離れた深山というわけではない。また訪れればよい。中高年登山に無理は禁物と言い聞かせて、下山の道をたどった。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】(2020年3月21~22日登山)
黒百合ヒュッテの夕食_ハンバーグ定食でした 黒百合ヒュッテの夕食_ハンバーグ定食でした
【天狗岳】八ケ岳連峰に所属し、東西二峰からなる。四季を通じて歩くことができ、積雪期以外は初心者でも安心して歩ける。黒百合ヒュッテに一泊し、硫黄岳や縞枯山方面に縦走するのも楽しい。下山後の渋の湯温泉もぜひ入浴したい(日帰り入浴可)。風情がある木製の湯舟は一見の価値がある。
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〜山記者の目〜プロフィール
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長

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