毎日山の旅日記

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山梨県安心安全富士登山 ステップ④大菩薩嶺

晴れた日に、山梨県の大菩薩嶺(甲州市・丹波山村、2057㍍)に登ると、いく人ものハイカーとすれ違う。家族連れやカップル、仲間同士など皆、楽しそうに歩いている。しっかりとした登山の装備を身に付けている人もいれば、小さなリュックサックの女性もいる。高尾山(東京都、599㍍)のような、手ぶらの観光客こそ見かけないが、のんびりとした雰囲気が漂う。 2000㍍を超える山々にあって、大菩薩嶺は登りやすい山だ。登山口の上日川(かみにっかわ)峠までは路線バスもある。タクシーで訪れれば、峠を越えて名物の山小屋「福ちゃん荘」の前まで乗りつけてくれる。ひとたび稜線に出れば、歩きやすい道が続いている。富士山の展望も良い。
上日川峠のロッヂ前で支度をする参加者の皆さん 上日川峠のロッヂ前で支度をする参加者の皆さん
23年6月14日午前10時前、上日川峠に「安心安全富士登山教室」(まいたび主催)の参加者35人の姿があった。登山の初心者が8月の富士山登頂を目指して毎月、山に登り、体力と技術を身に付ける実技講座だ。今回はそのステップ4で、2000㍍峰に初めての挑戦となった。楠本秀一郎・登山ガイドが「さあ、行きましょう」と声を発し、3班に分かれた人々が歩き出した。
新緑の登山道を歩く 新緑の登山道を歩く
小雨模様の中、泥土の道を慎重に歩いた。ぬかるみもある。「滑りやすいので注意してください」と声がかかった。34分後、福ちゃん荘に到着し、山荘前で休憩をとった。一行が再出発すると、雨脚が強くなった。「レインウェアを着る人は着てください」と楠本ガイド。さらに、唐松尾根と呼ばれる急傾斜地に取りついた。岩場もあり、転がり落ちそうな石も随所にあった。「ここから急登です」「石を落としたら後ろに向かって、ラクッと叫んでください」と注意喚起が飛んだ。つづら折りの登山道を登り切り、稜線に到達した。雷岩と呼ばれる巨石が、皆を出迎えてくれた。晴れていれば、山々の向こうに大菩薩湖と富士山が見えるのだが、白い雲が低く垂れこめているばかりだ。樹林帯を10分ほど歩き、山頂にたどり着いた。山頂標識は、木々に囲まれて展望は全くない。「山頂に着きました」の一言に、皆は「本当?」「ここが山頂ですか」と口にして安どの表情を浮かべた。それぞれが記念撮影の後に、雷岩に取って返した。
楠本ガイドを先頭に大菩薩嶺の山頂に到着した。 楠本ガイドを先頭に大菩薩嶺の山頂に到着した。
大菩薩峠(1900㍍)までは、稜線歩きとなる。ゆるい下りが続くが、所々に岩場がある。そこに差し掛かると、楠本ガイドは「足を置くところを確認して降りてください」と声をかけた。午後2時27分、大菩薩峠に到達した。日ごろは土産物をにぎやかに並べている山小屋「介山荘」もシャッターを下ろしたまま。他の登山者とはほとんど出会わず、静寂の中を歩き切った。後は上日川峠に戻るばかりだ。
雨に煙る大菩薩峠の標識 雨に煙る大菩薩峠の標識
◇大菩薩嶺には、もうひとつの顔がある。日本の文学史にその名前が深く刻まれていることだ。大正から昭和初期に活躍した小説家・中里介山の代表作「大菩薩峠」で、新聞連載を通してその名前は全国に知れ渡った。深田久弥の「日本百名山」に、「大菩薩岳」として紹介されたのも大きかったと思う。東京近郊の、登りやすい百名山として多くの人に知られるようになり、今も愛され続けている。
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〜山記者の目〜プロフィール
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長

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