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新コース
  • 日帰り
  • 和歌山・大阪
  • 歴史を学ぶ旅
コース番号
005260

歴史を変えた瞬間 有間皇子の変

「大化の改新」が招いた悲劇のストーリー

 皇極天皇4年(645年)612日、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自害。蘇我体制に終止符を打ちました【乙巳の変】。同年614日、乙巳の変の直後に皇極天皇は退位し、中大兄皇子に皇位を譲ろうとしました。しかしそれを受けた場合、皇位を狙ったクーデターと捉えられかねず、中大兄と鎌足の協議の結果、皇弟の軽皇子が即位し孝徳天皇となりました。中大兄王子は皇太子となり政権の中核を担いました。同年12月、都を飛鳥から摂津難波に移り、難波長柄豊碕宮としました。大化2年(646年)1月に改新の詔を出し、一般的にはこれが「大化の改新」の始まりとされています。しかし、孝徳天皇と中大兄皇子は不和となり、白雉4年(653年)に中大兄皇子が難波宮から飛鳥京へ移ると群臣もこれに従い、孝徳天皇は完全に孤立し、白雉51010日(6541124日)に憤死する事件が起きました。これにより皇極天皇が再び飛鳥板葺宮で斉明天皇として重祚しました。孝徳天皇の皇子であった有間皇子は、父の死後、政争の巻き込まれるのを避けるために心の病を装い、療養と称して牟婁の湯(南紀白浜温泉)に赴ました。飛鳥に帰った後に病気が完治したことを斉明天皇に伝えました。その有間皇子に蘇我赤兄が近付きある企みを打ち明けました。

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2026年2月13日(金) 18,000円 募集中 お申込み受付中

ツアー詳細

旅行条件 最少催行人員8名/添乗員が全行程同行いたします。
貸切バス会社名 千里山バスまたは同等クラス
食事条件 昼食:1回
服装と持ち物 ウオーキングシューズでご参加ください。
その他 現地の見学上基本的には、マイクロバス利用を予定しております。

基本スケジュール

日数行程食事
1 大阪・梅田8時発=〇有間皇子結び松記念碑(岩代の結松)(護送される途中、岩代の神に身の平安無事を祈って、岩代の松枝を引き結んで2首の歌を詠んだ)=〇有間皇子之碑=〇岩内1号墳(7世紀中頃に造営された横穴式石室墳。有間皇子の墓ではないかといわれています)=〇藤白神社(境内には有間皇子を祀った有間皇子神社がある)…有間皇子の墓(藤白坂の入口にあたるこの地で有間皇子は処刑されたと伝えられている)=〇山田上ノ山古墳(孝徳天皇陵)=梅田17時ごろ着
【行程中の記号】
=バス →航空機 —列車 〜船舶 …徒歩 ≠ロープウェー
◎入場観光 ○下車観光 △車窓観光

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2026年2月13日(金) 18,000円 募集中 お申込み受付中

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