日本最初の自然保護運動
南方熊楠は、慶応3年(1867年)4月15日、和歌山城城下町の橋丁(現・和歌山市)に金物商・雑賀屋を営む南方弥兵衛(後に弥右衛門と改名)、すみの次男として生まれました。 南方家は、海南市にある藤白神社を信仰しており、神社には熊野神が籠もるといわれる子守楠神社があり、藤白の「藤」と熊野の「熊」そして、この大楠の「楠」の3文字から名前をとると健康で長寿を授かるという風習がありました。熊楠は、幼少期から才覚に優れており、学校に入る前から大抵の漢字の音訓を諳んじていたといわれております。東京での学生生活の後に渡米。さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。多くの論文を著し、国内外で大学者として名を知られるようになりました。また熊楠は、1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」によって土着の信仰・習俗が毀損され、また神社林(いわゆる「鎮守の森」)が伐採されて固有の生態系が破壊されてしまうことを憂い、翌1907年(明治40年)から神社合祀反対運動を起こしました。特に神島の保護運動に力を注ぎ結果としてこの島は天然記念物に指定され、後に昭和天皇が行幸する地となりました。この運動は自然保護運動、あるいはエコロジー活動の先がけとして高く評価されており、2004年(平成16年)に世界遺産(文化遺産)にも登録された熊野古道が今に残る端緒ともなっています。