豊臣氏の第2代関白
豊臣秀次は、永禄11年(1568年)、豊臣秀吉の同母姉であるともと弥助(後の三好吉房)夫婦の長男として生まれた。秀吉は、元亀3年(1572年)、浅井方であった宮部城城主の宮部継潤の調略に成功し、その際に幼少であった秀次は、養子という目的で人質として送られました。浅井氏滅亡後、継潤が秀吉の与力になった事で返還されました。その後、三好氏に養子を出されますが、本能寺の変にて情勢が一変し、秀吉の天下統一の事業を支えていきます。天正13年(1585年)には、近江八幡43万石が与えられ、八幡山城を築城しました。
今回のツアーでは、近江八幡に残る秀次ゆかりの地と秀次一族の墓が残る京都の瑞泉寺を訪れます。