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新コース
  • 3日間
  • 山口
  • 歴史を学ぶ旅
コース番号
005242

歴史を変えた瞬間 第二次長州征討【四境戦争】

  1. 2023年1月21日より毎日新聞朝刊にて連載中の話題の「大島口の戦い」のゆかりの地を訪れます

江戸幕府の権威が失墜した一戦

 元治元年(1864年)719日の「禁門の変」によって、長州藩は朝敵となりました。723日、朝廷は幕府に対して長州追討の勅命を発した。幕府は長州藩主・毛利敬親と養嗣子の定広(後の元徳)に京都で禁門の変を起こした責任を問い伏罪をさせるため、尾張藩・越前藩および西国諸藩から征長軍を編成した。しかし、長州藩への具体的な処罰を決定しないかった為、独自に動いた薩摩藩の仲介のもと、三家老(国司親相、益田親施、福原元僴)の切腹と四参謀(宍戸真澂、竹内正兵衛、中村九郎、佐久間左兵衛)の斬首、五卿(三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修)の追放、藩主父子からの謝罪文書の提出山口城破却という長州藩にとっては寛大な処置として決着しました(第一次長州征伐)。しかし、長州藩内で高杉晋作が挙兵し、長州藩内の佐幕派である長州俗論派を失脚に追い込む事に成功。そして軍備増強に乗り出しました。この動きを察知した幕府は再度の長州征伐を決意し、慶応2年(1866年)65日をもって諸方面から進撃すると決定しました(第二次長州征伐)。この戦いは大島口・芸州口・石州口・小倉口で行われた為、山口県では「四境戦争」と呼ばれています。今回のツアーでは、大島口と芸州口にスポットをあてて見学します。

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2024年6月19日(水) 1名1室 95,000円 募集中 お申込み受付中

ツアー詳細

旅行条件 最少催行人員7名/添乗員が全行程同行いたします。
貸切バス会社名 千里山バスまたは同等クラス
食事条件 朝食:2回/昼食:1回/夕食:1回
宿泊施設 【1】周南市・ホテルルートイン周南 -徳山東インター(1名1室)
【2】広島市・広島ワシントンホテル(1名1室)
服装と持ち物 ウオーキングシューズでご参加ください。
その他 現地の見学の為、マイクロバス利用になる場合があります。

基本スケジュール

日数行程食事
1 大阪・梅田8時発=大島口の戦い【〇浄西寺(幕府軍艦が放った砲弾の弾痕が残る石垣)=快念寺(幕府方の松山藩が陣を置いた場所)】=周南市(泊) ×
2 =大島口の戦い【〇帯石観音(長州軍の守備隊が陣を置いた場所)=〇笛吹峠古戦場(松山藩と長州藩が戦った古戦場)=〇残兵斬首跡(長州藩に捕らえられた松山藩士分14名が処刑された場所)】=〇通化寺(長州藩方の東境の守りの要として遊撃隊の本陣がおかれた)=〇福城寺(岩国藩の夫人や古文書を避難させた場所)=〇西照寺(長州藩方の山代の僧侶により編成された偕行団の屯所が置かれた場所)=広島市(泊)

×
3 =芸州口の戦い【〇籌勝院(遊撃隊の本陣がおかれた場所)=〇長州の役戦跡「苦の坂」(幕府方の高田藩1000人と宍戸備前が率いる200人が激しい攻防が行われた)=〇竹原七郎平徒渉地点(彦根藩士竹原七郎平が、先陣を切って小瀬川を渡ったとされる地点)…四境之役封境之地碑=〇安禅寺(彦根藩士の墓が残る)=〇四境之役砲台跡(長州藩の砲台が置かれた場所)=〇長州之役戦跡の碑=〇苦の坂古戦場(高田藩と宍戸隊が激突した場所)=〇長州戰爭史跡 千人塚(戦いでなくなった兵士を敵味方関係なく祀った塚)】=梅田18時ごろ着
×
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【行程中の記号】
=バス →航空機 —列車 〜船舶 …徒歩 ≠ロープウェー
◎入場観光 ○下車観光 △車窓観光

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2024年6月19日(水) 1名1室 95,000円 募集中 お申込み受付中

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