天皇の名代として伊勢の神に祈りをささげた皇女たち
天智天皇死後の672年、大海人皇子(天武天皇)は挙兵の意思を固め、妻の鸕野讚良皇女(持統天皇)らわずかな供を従えて大和の吉野を出立。伊賀を経て伊勢に入り、朝明郡(現在の四日市市)で伊勢神宮を遥拝し天照大神に戦勝を祈願しました。伊勢では国司郡司らの参加で軍勢もふくらみ、美濃に進んで不破の関を封鎖できたことが壬申の乱の勝利につながります。乱後に即位した天武天皇は伊勢神宮への崇敬の念をますます高め、翌673年、娘の大伯皇女(おおくのひめみこ、大津皇子の同母姉)を天照大神に仕えさせるため伊勢神宮に派遣することを決めます。身を清める期間を経て674年10月9日、大伯皇女は伊勢に下向しました。歴史上確実とされる斎王の初代です(まだ「斎王」の名称はありませんでした)。彼女は天武天皇が亡くなった684年まで伊勢での奉仕をつとめました。
その後、斎王は後醍醐天皇の時代(14世紀)までの約660年間に、天皇の代替わりごとに60人余りの未婚の皇女たちがつとめ、伊勢の地で祈りをささげる暮らしを送ります。斎宮(さいくう)と呼ばれる斎王の宮殿と役所(斎宮寮)は、桓武天皇の時代(8世紀末~9世紀初め)になると東西約2㎞、南北約700mの、当時としては大宰府に次ぐ規模の地方都市として大々的に造成され、都のような碁盤目状の大通りなどが整備されました。昭和後期以降の発掘調査でよみがえった斎宮址や博物館(三重県多気郡明和町)を見学します。