北畠氏終焉の地
永禄12年(1569年)、織田信長は伊勢国に兵を進めて、伊勢国司9代目北畠具房と戦い、和睦の条件として信長は次男茶筅丸(後の織田信雄)と具房の妹の雪姫を婚姻させ、茶筅丸を北畠氏の養継嗣とさせる事に成功。元亀元年(1570年)に具房の父具教は出家して不智斎と号し三瀬御所(現三重県多気郡大台町)に隠居した。その後、茶筅丸は元服し北畠具豊と改名し信長の圧力によって具房も隠居に追い込まれた。この結果、名実共に北畠家を掌握したかに思われた織田氏であったが、具教と立場を失ったその側近達は心服しておらず、元亀4年(1572年)3月に具教は西上作戦の途上であった武田信玄の陣に鳥屋尾満栄を遣わせ、信玄上洛の際には船を出して協力するという密約を結んでいた。この事は天正4年(1576年)には信長も知るところとなっており、これを機に北畠一族の抹殺を画策するのでした。