「吉田郡山城の戦い」の尼子本陣の城址
安芸国の吉田を治める国人領主であった毛利氏は、周防の大内氏に長年服属していたが、出雲の尼子氏が勢力を拡大して安芸に伸張してくると、二大勢力の狭間で巧みな外交を続けていた。しかし、毛利元就は尼子氏の侵攻が東の赤松氏に向いた隙に、備後、安芸の尼子方の拠点を攻撃。これにより、尼子氏は播磨より撤退する事になった。天文9年(1540年)6月下旬、備後路より尼子軍は毛利家の本拠である吉田郡山城の侵攻を目指すが、失敗。同年8月石見路より侵攻し9月4日には吉田郡山城の北西4kmに位置する風越山に本陣を敷くが、城攻めは難航した。尼子軍は戦況を打開すべく、吉田郡山城の対岸に位置する青山・光井山に陣取りました。